銀花翠葉

アニメの感想ブログです(更新は終了しました)

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(後編)

この映画に足りないものは誰でもわかる
「感情」と「人間のドラマ」
いちおう長谷川博己と石原さとみが主役のなにやらドラマっぽいものをやっているけど
だれもまじめに見る気はしない
自称未来の大統領と自称未来の総理が「この国を」「あの国が」と夢のようなおしゃべりする
それにしても
国家の中枢てきなところにいる人たちの超高所からの目線のお話
をこんなにも妄想たくましく作り出す想像力って一体なんなのだろう
それはそれで興味ぶかいかもしれない
物語はへんしん願望
あなたはにっぽん国の総理になってみたいのですか?
「あの国はいつも無茶苦茶なことを言ってくる」とか、ぼやいてみたいのですか?
よその国の大統領にアタマさげてみせて男をアゲて歴史に名を残してみたいのですか?

あなたの「率直な感想」は?
映画を見たあなたの「率直な感想」をききたい
あの映画をみて心に感じたいちばん素直な気もちはどんなもの?
斜にかまえた発言はいらない
リクツもゴタクもオタクもいらない
ゴジラ史の特撮史のセンゴ史の庵野史のウンチクもいらない
「ゴジラこわかった」ですか?
ほんとうのほんとうに?
「ゴジラかわいかった」ですか?
それは「批評」であって「感想」ではないよね?
だれも素直なことばで感想を言えない
斜にかまえた発言しかできなくなる
リクツとゴタクとオタクとてんこもりで
ゴジラ史と特撮史とセンゴ史と庵野史のウンチクをたっぷりぶっかけた「批評」
しか言えなくさせる映画
そういうことばの仕掛けをもつ作品
エバQのときもおなじこと書いた気がするが
この映画を見てもふつうに泣けもしないし笑えもしない
観客がそうなるのは当たり前
作中の人物だれひとりまともに泣きも笑いもしていない
(そのかわりことば、ことば、ことば)

いな!
あの映画のなかでだだひとり、
感情をおもいきりむきだしにして怒り吼えているキャラがいた
それはだれか?
ゴジラだ、ゴジラ、ゴジラ。

ゴジラの感情とは何か?
ゴジラの行動原理は人間側にはいっさい認知できない
しかしどうやら確かだと思われることが一つだけある
「自分を攻撃してくるものがいると本能的にビームを出して撃退しようとする」
だっけ?
これだけはどうやら間違いないらしい
自分を攻撃するもの、傷つけるもの、いためつけようとするもの
を「本能的に」追い払う防衛機制
まさに「本能」!
つまりそれがゴジラの感情(人間側に推測&認識できる唯一の感情)!
原始的な、本能的な、幼児的な、真の感情!
映画で描かれるただひとつのそして本物の感情
ゴジラは咆哮し、暴れ、火を噴き、ビームを出す
ゴジラの「感情表現」ゴジラの「ことば」
どうしてボクをいじめるの傷つけるの
人間側だってほんとうはおなじことで
要するにゴジラがこわいから、おそろしいから排除しようとする
こわいもの、いじめるもの、おびやかすもの、害になるもの
にたいする防衛のためゴジラをたおそうとするだけ
こわいこわいこわい死にたくない
ほんとうはそれだけ
人間とゴジラは攻撃&防御というまっさらな「本能」の部分でだけ
原始的なコミュニケーションをする
それだけなのにあれだけの「ことば。ことば。ことば。
が必要になってる

私見をいえばエバもゴジラも
傷つけられた童心が泣きわめいて暴れているだけの映画
ゴジラとは本能であり幼児感情でありいっそ純粋無垢の童心だ
「このボクをきずつけるやつはゆるさない」
「ゆるさない」
「みんなころす」
なんてくもりなき童心!
ではゴジラをいちばんいじめるものは誰か?
童心をいちばんふかく傷つけるものは何か?
核か?米国か?自衛隊か?にっぽんのギジツリョクか?
ぜんぶちがう
それは「ことば」だ
童心は社会のことばによって傷つけられる
社会という名のことばによって殺される
ゴジラという言葉にできない「無垢なもの」が
ありとあらゆる「社会のことば」に全面包囲される
ちなみに東京も日本も政府も国家も総理も大統領も自衛隊も核も
すべて「社会のことば」の産物
いな「社会のことば」そのものだ
よってこの映画は「ゴジラ」。と「ことば」。のがんじがらめの葛藤であり
(にっぽん対ゴジラとか現実対虚構とか
下手くそなコピーにまどわされないこと)
「ことば」がいかにして「ゴジラ」を抑圧するかの映画だ
ゴジラが何も言わずに立ってそこにいるから
躁病てきな「ことば、ことば、ことば」はますます浮きあがり
「ことば、ことば、ことば」の空疎さが
ゴジラの悲惨な神聖さをよけいに黒々と浮かびあがらせる




この映画はようするに「ことばの病気」から生れているとおもう
自分のなかの童心=幼児性と、言葉=社会性との葛藤をかいけつできない
そういう部分で確実に病んだ人間の作った映画であるようにかんじる
現代にっぽんのにっぽん語の病気をカラダを張って見せてくれた映画
であるかもしれないけれど
だから私としてはことばが気になる、
あふれかえるおびただしい「ことば、ことば、ことば」
しかしこれはいったいどういう種類の「ことば」なのか?
どういう種類の「ことばの病気」なのか?
「ことばの病気」を癒すものは「ことば」以外にありえない
だとしたらそのためにはどういう「ことば」が必要なのか?
病んでいない「ことば」はどこにあるのか?
(あれ?いつのまにか自分の話になってた?)


『礼はいりません、仕事ですから』

これこそがもっとも病んだ異常な「ことば」ではないのですか?


会いたい日は 会いたいって言おうよ
泣きたい夜は 声をあげて泣こう
美味しい時は 美味しいって言おうよ
(幸せについて私が知っている5つの方法)

―これだけで、じゅうぶんなのではないですか?



(未完)





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