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銀花翠葉

アニメの感想ブログです(更新は終了しました)

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(読みながらメモ・3) ※画像なし。長文。


すずが初めて大和を見る場面
映画では
「あんなところで(略)毎日ごはん作っとるん?洗濯は?」
というようなセリフをすずに言わせている

原作にはこういうセリフはない(上巻110~112頁)
ふつうに大和に驚いているか
ハゲを気にしているだけのように見える

映画ではたぶん
彼女はいつなんどきでも「食事のしたく」や「お掃除お洗濯」のことを考えていて
何を見てもまずそのことを気にしてしまう女性
そういう人物としてすずを描こうとしている
ようにおもわれる
これは「すずさん」をそういうキャラクター設定にしたというよりも
映画を作るひとの“しそう”や“シュチョウ”のあらわれだと考えたい

天下の戦艦大和にむかって
「誰がごはん作るの?洗濯は誰がするの?」みたいな皮肉を言うのは
いかにも「女性の視点」や「生活者の目線」からの軍隊批判のようで
わかりやすいし見え透いている
そういうのは今の社会でわりと通りのいい(受け容れられやすい)メッセージ
であるような気がする
男=戦争=愚か
女=生活=大正義
みたいな図式
映画はかなりこういう図式にそって作られている感じがするが
原作のほうは必ずしもそうではない
ように個人的には思える



「憲兵」の場面で
憲兵たちが北條家を立ち去るとき
干してある女の着物を乱暴に手で払いのけていく
映画でそういう芝居を加えているのも同じ意味合いか



「伝単」をまるめて野球ごっこする場面(下巻88~89頁)
ですずの言う
「何でも使うて暮らし続けるのがうちらの戦いですけん」
このセリフも原作にはない映画独自の“しそう”



セリフの変更でよく話題になる有名な箇所について
玉音放送にキレたすずが一人になって泣き崩れながら言うひとりごと

原作(下巻94~95頁)

…ああ
暴力で従えとったいう事か
じゃけえ暴力に屈するいう事かね
それがこの国の正体かね
うちも知らんまま死にたかったなあ……


これが映画では

あぁ… 海の向こうから来たお米… …大豆
そんなもんで出来とるんじゃなあ うちは…
じゃけえ暴力にも屈せんとならんのかね
あぁ… 何も知らん ボーっとしたうちのまま死にたかったなぁ…


になっているのは周知の通り
(正確な引用ではなくだいたいのところ)


説明を挿むと
原作の「暴力で従えとったいう事か」のコマには
朝鮮人居住区のような所から大極旗のようなものが揚がっている絵があり
「暴力で従えとった」は植民地支配のことを暗示しているように読める
映画の「海の向こうから来たお米、大豆」も
ここは植民地から収奪した食糧という意味で言わせている
やはりというべきかこの問題はすでにさんざん議論になっている模様
もちろん以下では政治的な話がしたいわけではなし
映画でも大極旗のカットは出るけど一瞬チラッとだけだった記憶が


で、一体なぜこんな風にセリフを変えてしまったの…という話
最初はよくわからなかったけれど
推測するに映画の作り手は
「すずさん」のような人が急に「この国」批判のようなことを言い出すのは不自然
彼女はあくまで「毎日の暮らし」に関係することだけを考えているはず
こういうときでも「ごはん」「食事」を気にする方が彼女らしい
とそういうふうに考えて
それでここのセリフを無理やり「食べもの」「食べること」の問題に結びつけた
のではないかという気がする(※映画の監督もほぼそのような説明をしている)

個人的には原作のセリフのほうが明らかに自然でよいと考える
唐突に食糧問題が出てくるのは不自然で無理がある
すずのような女性が政治的な意見ぽいものを口にするはずがない
というのも偏見といえば偏見で
そしてこのこと
つまりすずの思考をどこまでも日常の暮らし向きのことだけに限定させようとする
ご飯・掃除・洗濯・裁縫
のことしか考えていない女性
というふうに決めつけておいて
でもそういう女性たちこそいちばん正しいのだ、と逆に持ち上げる
よくわからない“しそう”ないし“シュチョウ”
そういうのが映画版のかかえる難点なのではないかと個人的におもっている
繰り返すようだけど原作のほうは決して
女性=日常の暮らし=大正義
のような考えで描いてるマンガではないと感じるので


追記
「暴力」というキーワードについて
すずが飛んで行く爆撃機をにらみながら
「ああ うるさいねえ そんとな暴力に屈するもんかね」
と言っている場面(下巻86頁、映画でもそのまま)

空襲だの爆弾だの飛行機だの…戦争とは要するに端的に「暴力」のこと
すず自身は
「うちは強うなりたい 優しうなりたいよ この町の人みたいに」
と願うその「強さ」とは「暴力」とは反対の「優しさ」のこと

これが後の場面に響いて先ほどの
「暴力で従えとった」「じゃけえ暴力に屈する」のセリフにつながる
映画でも「そんとな暴力に屈するもんかね」の台詞はしっかり言わせているのだし
そもそも映画ですごく力を入れてる空襲場面はとてつもなく「暴力的」で
空襲のすさまじい「暴力性」をまさしく実感させてもらえる映像になっている
これほど戦争=「暴力」だと感じさせる映画もそうそうない(と思う)
それであればむしろ…
すずのセリフから「暴力」というキーワードを中途半端に削ってしまったのは
映画のためにかえって惜しいことだったような気がする


蛇足
「何も知らんボーっとしたうちのまま死にたかったなぁ…」と改変されたことで
「知らん」の意味が変わってくる
原作は「この国の正体」を「知らんまま」ということ
映画のほうは「何も知らない真っ白な私のままで死にたかった」というニュアンスになり
すずの少女性(への願望?)のようなものが強調される(?)

原作者が劇場パンフでコメントしている
原作ではすずを「少女のまま嫁いできたとは思ってなくて」
「わりと大人の女性として描いていた」けれど
映画では「少女と大人の境目の印象が強いキャラクターになった」と


(つづく)





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