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2017.03/29 [Wed]
(読みながらメモ・4)
主人公を「すずさん」とさん付けで呼ぶ
監督からしてそう呼んでいる
それはどうなのか
「原作」を楯にとって映画にケチをつける
お行儀のよくないことには違いない
このブログは昔からそんなことばかりやっている
でもいつもいつもそうなわけではない
映画のほうがすぐれている
とおもった箇所をひとつ挙げる
北條家に焼夷弾が落ちたシーン
座敷に落ちてちろちろ燃えている火
それをぼーっと立ちつくしながら見つめているすずの顔のアップ(長い)
呉市街の空襲の様子がカットインされ
再びぼーっとしたすずの顔のアップ(長い)
くやし涙がわいてながれる
とつぜん火がついたように叫んで動きだす
不自由な体で蒲団をつかんで火にかぶせる
その上に五体をなげだして何かわめきながら
子どものように手足をバタバタさせてあばれてるすず
(うろおぼえ)
うつろな表情の顔のアップを長くうつすのと
一転して衝動的なはげしいアクションと
それが強く目に焼きついたシーン
原作はこのように描かれており(下巻47~48頁)


説明的な回想コマ(下頁右)が入ってることで
すずがこのとき何を思ったのかがはっきりわかる原作
対して映画では回想などなにもなく
すずの心情は説明されない
おかげで彼女の気持ちや涙の意味を
いろいろ想像して受けとめる余地がうまれた
すずはなぜ必死になって火を消そうとしたか
なぜ発作をおこして幼児のように泣き叫んだか
周作に家を守れと言われたから?
個人的には彼女は引き裂かれた自分の身と
この家を重ねて泣いたのだと感じた
喪失ということ
右手と晴美のことに関してすずは泣きたくても泣けない
悲しむことすら許されない
その代償に彼女はここで泣きわめいたのだろうと
自分のことや晴美のことはあきらめるしかない
だけども北條家が焼けてなくなることだけはどうしても許せなかった
(蛇足)
逆に原作よりぼやけたとおもう所もいくつかありそのひとつ
すずが鷺を追って行って機銃掃射に狙われ
助けにきた周作といっしょに溝に飛び込むシーン
原作(下巻64~70頁)の「そうです」「違います」や
ああ なんと冴えん
冴えん飛行機
↓
こんなけが人ひとり撃ち殺せんとは
冴えん左手
↓
この期に及んでこの人を離せんとは
冴えん心だ
↓
あの人を呼ぶこの人の口の端に
愛がなかったかどうかばかり気にしてしまうとは
のモノローグ
原作のこのことばはとてもよい
映画はこの通りでなく多少違っていた気がする
(記憶あやふやで確認してない)
リンとの三角関係を消した以上ここも変えないわけにいかないか(?)
映画だけを見てればじゅうぶんいいシーンだったと記憶する
(つづく)
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