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銀花翠葉

アニメの感想ブログです(更新は終了しました)

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(揚げ足取り大祭)

映画でもそうした要素(※軍艦に乗ることや技術者として戦争に関わること)を男性側に担わせながら、その一方で女性たちが家事を連綿と続けることに、そっちのほうがはるかに意味あることだといってみたかった(後略)。

(前略)家事は戦争が終わってもずっと続く本質的な仕事でもある。端的に言うと戦争中から今日に至るまで、世の中から晩御飯がなかった日はないわけです(笑)。必ず誰かが料理していたし、ジェンダー論的にはともかくあの時代には女性がそれを担っていた。逆に当時の男たちがやってきたことって、戦争が終わったことで価値を失うものばかりだった。

(「キネマ旬報」2016年11月下旬号)


これが監督氏の信じる“しそう”だというのなら仕方がない
それに文句をいってもはじまらない
ただ、どうして「女性たちが家事を連綿と続けること」が
男の仕事よりも「はるかに意味あることだ」と考えるのか?
その根拠をきいてみたい気はする

男の仕事だって「戦争が終わってもずっと続く本質的な仕事」ではないの?
男たちがいなかったら焼け跡にバラックを建てるのだって難しいのでは?
(念のため言うと男の仕事のほうが価値があると言いたいわけではない
そういう比較をすることに意味がないと言っている)


ついでにこれは言うまでもないことだけど
「家事」が女の仕事と決まってるわけでもない
もちろん監督氏もそうは言っていない
インテリ監督らしいので「ジェンダー論的にはともかくあの時代には」みたいな
その種のエクスキュース(=言い逃れ)の心得くらいはおありらしい
ただ、この作品の場合「あの時代には」が言いわけになるかどうか?

以前の記事でも書いたように
原作マンガは戦時下の女の暮らしを淡々と描くものではあっても
女の仕事=家事がなにより尊いみたいな価値観で描かれたものではない(と考える)
その原作をわざわざ「女性=家事」賛美の映画に作りかえているわけだから
やっぱり「すずさん」みたいな「女性」がつねに「家事」をやっててくれなきゃ困る
そうでないと成り立たない映画なのでないか


原作者のエッセイの文章にこんな一節がある(『平凡倶楽部』11頁)

例えば、わたしは女なので女の人生に注目してみよう。
「昔の女」は、子供の頃から勉強もさせて貰えず家の手伝いばかり。知らない相手と結婚し、実家にも滅多に帰れず、婚家で奴隷のように使われ、子供を作り、年を取れば姑として嫁を教育し…、という印象がある。両親や祖父母から伝え聞く誰かは、大抵そんな人生を歩んでいた。

(※前後の文脈から切り離した反則的な引用なので、できれば原文の方を見て下さい。)

「この世界の片隅に」のすずは
上で言っている「昔の女」の典型として描かれているわけではもちろんない
けれども上のような「昔の女」観が念頭にあって描かれた人物なのはまちがいない
「婚家で奴隷のように使われ」みたいなお話なのも否定できない


蛇足
映画「この世界の片隅に」で個人的に好きになれない箇所
それは「家々のかまどの煙が立ち昇る」カット
記憶では二回出てくる
(すずの嫁入りの翌早朝/玉音放送の日の晩)
もちろん両方とも原作にはない
この「かまどの煙」の絵こそ「家事は尊い」の“しそう”の象徴
ほとんどイデオロギー的なメッセージにさえ見える(…?)





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