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銀花翠葉

アニメの感想ブログです(更新は終了しました)

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(揚げ足取り大祭・続)

結局、最初に原作を読んだ時に、すずさんみたいな人の上に爆弾が降ってくるようなことが可哀想で可哀想で仕方がなかったんですよ。で、その時に、これを絵空事じゃないものにしたいと強烈に思ったんです。一番大事なことは、すずさんという人が本当にいる人なんだと、僕ら作り手が完全に信じきって作らないといけないと。(後略)

(劇場パンフ)


「絵空事じゃないものにしたい」というのは
できるだけリアルに克明に描き出したいという意味だろうけど
「可哀想で可哀想で仕方がな」いものをどうしてそんな風に描きたいと思うのだろう
そんなに「可哀想」なら見たくないし人にも見せたくないと思うものじゃないだろうか


こんなに普通のことしかやっていない人たちの上にいきなり爆弾を落とすという行為が存在するということへの嘆きというか、こらえきれないものがあったんです。

(「キネマ旬報」同前)


「こんな(略)人たちの上にいきなり爆弾を落とすという行為」
さっきの劇場パンフでも
「すずさんみたいな人の上に爆弾が降ってくるようなことが」云々といっている
やけに「爆弾」にこだわるのはなぜなのだろう


下司の勘繰りをしてみると
おそらく…
爆弾を落としたかったのだろう
無意識では


無意識では「すずさん」たちの上に爆弾をドカドカ降らせたかったのだろう
ご自身が
それが監督氏にあの映画版を作らせた原動力なのではと勘繰りたくなる
「可哀想で可哀想で仕方がなかった」
「こらえきれないものがあった」というのは
善良で可憐な「すずさん」の上に爆弾の雨が降りそそぐという
そんな残酷な想像にタマラナイ悦びをおぼえているご自分を罰したいというか
無意識の贖罪意識がはたらいてそのように感じたということなのでは
(「こらえきれない」はコタエラレナイの間違いでは)


原作ではそれほど存在感のない「爆弾」
原作ではそこまで迫力のない「空襲」のシーン
最初は描くつもりがなかったという「原爆」投下
それが監督氏の頭のなかでは異様にふくらんで成長して
映画のあの凄絶な空襲描写が生まれてくる…


それはまあ冗談として


すずたちを「こんなに普通のことしかやっていない人たち」と言っていることに関して
原作読者としてびみょうな違和感をおぼえることを指摘しておきたい

あの人たちはぜんぜん「普通のこと」などやっていないよ?
というかそれができなくなっている
着られるものはもんぺだけ
建物疎開で家もとられてしまう
食糧が足りなくて野草まで食べさせられている
栄養失調と重労働で女の体が壊れてしまっている
これのどこが「普通のこと」ですか?

飛行機が飛んでこなくても爆弾が落ちてこなくても
すずたちはもともと異常なサバイバル生活を強いられている
そのうえ昔の家事はたいへんな重労働だし
結婚させられた相手の愛情を信じられるかという悩みもある
原作が描いているのはすずのそういう「戦い」であって
それにくらべれば戦争も空襲もたいした出来事ではないように描かれている

彼女の「戦い」を「普通のこと」と言いかえてしまってよいのか?
戦争や空襲の重大さに比べたらすずの「戦い」なんか何でもない些末なこと
みたいに考えるならばそれは原作を踏みにじっていることになりませんか?

映画版は前半でほのぼのしあわせな日常=「普通のこと」を描いておいて
後半の戦争=「爆弾」でそれがめちゃくちゃに破壊される…という構成だけど
そういう物語の構図は原作にもともとあったものではなく
映画版において持ち込まれた構図のようにおもえる
そして…「戦争」が「日常」を破壊しつくすという残酷物語に
むしろインビな快楽を期待するというような意味でごくありふれた戦争映画…
に近いものになってしまった…ような気がしないでもない…


蛇足
原作マンガを敬愛しリスペクトすればこそ映画化したいとおもった
それは確かなことだろうし本当のことだろう
つまりそれくらい原作を憎んだということ
愛と憎ってそういうものだろう
いっそ原作をこの世から消し去ってしまいたいほど
憎くて悔しくてたまらなかった
だったら自分の好きなように作りかえて自分の作品にしてしまおう
そういうことであの映画がつくられた
原作へのアンビヴァレンツ(=「すずさん」へのアンビヴァレンツ)
が露骨に透けて見えるあの映画…





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