銀花翠葉

アニメの感想ブログです(更新は終了しました)

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(※長文)

「聲の形」の小学生編で描かれた「いじめ」の話
あれについてはとてもいろいろなことが言われている
だからもう今さらというはなしではあるけど…


個人的に考えてみて思ったのは
あの「いじめ」に関していちばん根本的な原因は何だったのかといえば
それは硝子があのクラス(6年2組)にいたことだったのでは?
ということだった(正しいかどうかはわかりませんが)


ハンデのある硝子があのクラスで
ほかの子たちと同じようにやっていくのは基本的に無理だったはず
担任や周りの子たちがサポートするにも限界がある
植野や川井にしてもはじめは硝子に協力的だったわけだけどやっぱり限界は来た
好意や親切心だけでどうにかできることではないから


ところで硝子が特別支援学級ではなく6の2に転入したこと
その理由は、もとをたどれば硝子母の意思に帰着する(とおもわれる)
というか硝子母が硝子をどういう風に育てようとしたかに行き着く
彼女は娘を聴覚障害者として扱ってこなかった(らしい)
特別支援学校には行かせず一般校にずっと通わせていた
で硝子は小さい頃から聴覚障害者のコミュニティーの中で育っていないし
いっぽう健聴者たちとの意志疎通もスムーズにやれるとはいえない
つまり硝子は「健聴者」と「障害者」の間の宙ぶらりんな状態に置かれてきて
どちらのコミュニティーにも溶け込めない立場にあったのでは?
だとすれば硝子をそういう立場に追い込んだ責任はあきらかに母親にある


硝子自身が「きこえの教室」ではなく一般クラスにいたいと望んだこと
それは母親の考えをとりこんで内面化した結果だともいえるし
自分のせいでいじめられる妹を守るためでもあったらしい
(植野への手紙のなかで硝子は「私のせいで石を投げられてしまう妹のために
みんなと同じようになりたくて普通の子達といっしょにいたかった」
「でも同時にクラスのみんなに迷惑がかかってしまった」云々と書いている。6巻44話)


だから厳密にいうならあの「いじめ」の話は
硝子が「障害者」だからいじめられたという話では必ずしもない(とおもう
彼女が彼女固有の上のような事情をかかえていたことが原因だったわけだし
その「事情」に大きく絡んでいる人間は硝子母や結絃なわけだ
だからほんとうに問題とされるべきなのは「いじめ」ではなくてむしろ
西宮家の親子関係だったのでは?


硝子母は将也に向かって
「あなたがどれだけあがこうと幸せだったはずの硝子の小学生時代は戻ってこないから」
という意味のことばを投げつける(2巻13話)
でも考えてみれば「幸せだったはずの小学生時代」を硝子から奪っていたのは
むしろ母親自身だったのでは?
学校でいじめられることより母親がまともに会話もしてくれないという状況のほうが
硝子がかわいそうな気がする


将也は「幸せだったはずの硝子の小学生時代」を自分が奪ってしまったと考えて
自分ひとりでその罪をぜんぶ引き受けようとする
「聲の形」はそういう将也の物語なわけだけど
でもその考えは客観的にみれば間違っている
あの「いじめ」の原因は将也ひとりにあるわけじゃないし
いちばん根本の問題は彼とは関係のないところにあった(とおもう)
だからその後の将也が贖罪のためだけに生きようとするとか
ましてや罪滅ぼしに?自殺するとか
そんなことをする必要はまったくないとおもう


たしかに将也や植野たちは
硝子に相当ひどいことを言ったりやったりしている
物理的な暴力もことばの暴力もふるっている
でももし仮にあの「いじめ」について責任者さがしをするのであれば
(どうしても「人」に責任を負わせるとすれば、の話だけど)
まず硝子の母親(それから担任の竹内)が責任を負うべきなのでないか


将也は
小学校時代に(ある意味で)硝子とおなじ苦境に立たされて共鳴し合った
にもかかわらず幼くて傷つけあうことでしか気もちを伝えられなかった
成長してから硝子に会いに行って彼女にもういちど向き合おうとする
硝子との関係を少しずつ築き直すことをしていった
それはりっぱなことだし「聲の形」は二人が手をつないでいっしょにいる
という結末を描いたことでそれでもう充分な物語だとおもう…


またこれはついでに言っておくこと
あのとき6年2組で起きたこと、将也と硝子の間であったできごと、
それをぜんぶ「いじめ」ということばで括って語ってしまうことにも問題はある
それをすると取りこぼされてしまうものがたくさんある
作者もそのことには意識的で
「いじめ」という語を安易に使ってものごとを片付けるのはごまかしでしかない
だから将也には「いじめ」ということばを言わせなかった旨のコメントをしている
(公式ファンブック171頁)




(話かわる)

「聲の形」のマンガをさいしょに読んだとき
(映画を見る前にマンガを読んでいた)
この作品をどうしても好きになれなかった原因は「硝子の母」だった
正直に言っていいなら
この人が気もち悪すぎて嫌だった(…

能面のように無表情で鬼のように容赦ない
家族にも赤の他人にも平気で暴言を吐くし暴行を加える
娘を守るために男親の役割も引き受けてるとはいえ
娘の気もちを一顧だにしようとしない
サイコでクレイジーな人間にしか見えない
硝子はそれでも素直に母親にしたがってるけど
結絃は反抗を続けている(主に硝子に対する仕打ちを許せなくて)
それが原因かは知らないけど学校にもずっと行けていない

「聲の形」が硝子の物語だったとしたら
この母親と姉妹との関係、というか西宮家の親子関係こそ
本来もっと語られるべきだったという思いを消せない
それがあんまり詳しく語られないのは
「聲の形」はいちおう将也視点の物語なので
ひとんちの家族問題にそこまで踏み込ませられなかった
ということなのだろう
でもこの物語にとって硝子母のもつ影響力はそうとう大きい
(当り前だけど)子どもの人生をいちばん左右するのは親なんだから


ついでに
硝子母の次に気もち悪かったのが竹内先生
この人の言うことはほんとに支離滅裂で頭おかしいのではとさえおもう
ただそれは「そういうキャラクターとして表現されている」ものなのか
それとも作者が支離滅裂にしか描けなかったものなのかはっきりしない

作中の「いじめ」にいちばん責任があるのは硝子母と竹内…
と上で書いたけど、そういう重要な位置にいるキャラたちをこのマンガは
あまり納得いくように描けていないところがあるようにおもう
(全体的に大人のキャラの描きかたに違和感おぼえるところ多い)
それに作品全体がどこか露悪的なフィーリングで描かれていること
意味不明な暴力シーンが多いことなど個人的に「合わない」点はたくさんある…

アニメ映画版を見て個人的にほっとしたのは
原作の露悪的な気分、暴力過剰なシーン、
ささくれだった攻撃的なフィーリングがいっさい取り除かれていたこと
そのかわりやさしい色合いに満たされた映像にしてあったこと
(あくまで個人的な感想)




(また話かわる)

前述のように
将也と硝子はお互いに「生きるのを手伝う」というかたちで
関係を保ちながら今後の人生を生きていくだろう
まだ充分会話できてなくてすれちがってる部分もあるとはいえ
この二人に関してはそれで問題ない気がする
鯉に餌やりながらでもゆっくり話せるようになればいいとおもう
しかるに世の中はこの二人だけでは完結しない
いろんな人たちが絡んでややこしい人間関係が生じてくる
「聲の形」がめんどくさい作品なのはそのため…
というか現実そのもののめんどくささだろう…

もともとのオリジナル版と読み切り版は
将也が硝子と再会して「もういちどちゃんと会話してみよう」
と思うところで切りがよく完結している作品だった
連載版では長篇ということでたくさんのキャラを出して
それぞれの性格やら人生やらを細かく描いていった
そこまで個々のキャラとていねいに付き合ったことに作者の良心や度量を感じる
それで立体的な物語になったしスケールの大きい長篇になった…いっぽうで
話があさっての方向へ広がってしまう問題もかかえることになった気がする

完全に将也視点で行くならあんなに各キャラの話をやる必要はないし
植野にあそこまで深入りする必要もなかった
「西宮さんが現われたことで私たちのすべてが狂ってしまった」という植野の考えかた
「植野の目から見た世界」はまさしくそういうものだったのだろうけど
それを掘り下げて描きすぎると将也の話とはまた別の物語になってしまう
でもその植野が重要キャラとして将也にも硝子にも深く干渉してくる
いくらなんでも将也の病室から他人(とくに硝子)を締め出すとか
さすがにありえんと思うが…

ということで
きれいにまとまっていたオリジナル版・読み切り版を
連載用の長篇ストーリーに仕立て直したことから来る問題…
そうすることによって短篇でなら目立たなかった
設定上の綻びやら何やらが出てきてしまったということがあるのでは
あんなに多くのキャラの人生をぜんぶ語っていたら長篇いくつ書いても足りない
(それはある意味で原作の偉いところだとおもうけど)

アニメ版は原作のすべてを盛りこんではいない(当然)
といっても副筋をそんなに刈りこんでるわけでもなく(確か)
うまいこと話を整理していたとおもうけど記憶が定かでない
また見直して考えてみたい(これは無責任に言っている)




(さいごに)

そのアニメ版はBD/DVDが5月に発売
個人的に何度でも見たい映画ではあるので購入するかも
贔屓目で見るとあの映画は
全場面が見どころ&全カットが見どころみたいなもの
どこもかしこも美しい
あの空のいろ…みどりがかったやさしい配色だけでも癒される…


以下アニメ余談

ロック調?のOPよい
原作のフィーリングをよくとらえて
かつ手際よく硝子登場までをはしょってしまった
小学生編さいごの本気の取っ組み合いもよい
要するに幼い愛の行為だけど
映画では露骨なくらいそれをそういう風に描いている
映画全体に将也と硝子のからみの場面はみんな
いい意味でのエロスがただよってる

養老天命反転地にデートに行く場面
迷路とか傾いた地面とかがいかにも危うげで
原作にもあるけど映画にするともっと映えるシーン
将也が斜面ですべって硝子の顔を見上げると
逆光の夕日に小学校時代の硝子がフラッシュバックするところ

真柴くん
アニメでは出番すくないし彼の性格もあまり出ていない
過去の「いじめ」の件で水門橋で言い争いになるシーンでは
原作だと真柴が将也をおもいきり殴ってたけどアニメでは殴らせない
「部外者のくせに口はさむなよ」で終わらせている
それで充分だとおもった
真柴も原作をさいしょ読んだ段階では気もち悪くて仕方なかったキャラ
何度か読むうちにだんだんと(その気もち悪さが)好きになった(かもしれない

無残な言い争いと、結果としてグループの崩壊
これについてラストの文化祭シーンで永束くんが
「あんなこと生きていれば何度だってあるさ」、だからそんなに気にするなよ、
的なことを言っていたのもよかったとおもう(原作とは違う台詞)
彼はやさしい
そう、あんなことはいくらでもある
そんなに深刻に気にすることじゃない
過去のことを蒸し返したって仕方ないよ
将也と硝子は二人で未来を生きていけばいいんだから(以下略


(以上)





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